かもめ課長のブログ

かもめ流、涙の隠し方。

日記

2011.06.13

かもめ課長です。

あの震災から3カ月。少しずつ世の中は平常に戻りつつあり、ヘンな自粛ムードもだんだん落ち着きを見せてきたようです。にっぽん丸でもご予約が動きを見せ始めています。クルーズ以外の一般的な旅行も同じようですが、ただ、間際のご予約行動が多く、思い立っても予約が取れない、などという事態もあるようです。夏休み秋の行楽シーズンは、やはり早めに動くのが吉ですね。

一方で、被災地各地はまだまだ厳しい生活が続いているようで、テレビ中継などを見ていても2か月前、1か月前と風景が変わったようには見えません。これから夏に向けてさらに厳しい状況も予想されていて、被災地を応援したい気持ちはあっても、足を踏み入れるのには勇気がいります。

そんな中で、先日、とてもうれしいメールをいただきました。

先週の月曜日、いつものように遅刻ギリギリ、滑り込みセーフで席に着いたかもめ、やおらパソコンを立ち上げてメールチェックを進めていくと…ある方のお名前が。

昨年の7月、にっぽん丸は釜石に寄港させていただきました。かもめは入港の受け入れに釜石に飛んだのですが、その18年ぶりの寄港実現にあたってご尽力くださった釜石市役所の方からのメールでした。

釜石出港シーン。
(↑)釜石出港シーン。
 

3月11日の津波で、見覚えのある商店街や岸壁などが甚大な被害を受けるさまを1日に何度も何度も目にし、来る日も来る日も、釜石の方たちのことが心から離れず、避難所や役所からの中継に知った顔がないか気にする毎日が続きました。

朝から雲行きの怪しかった寄港のあの日、歓迎式典の実施可否判断をミスり、折悪しく降り出した雨でずぶぬれにさせてしまった釜石市長さんがご無事であることは、テレビを通じてじきにわかりましたが、一般職員の方々の安否は、わかるはずもありませんでした。避難所名簿にお名前を入れてみたりもしたのですが、ダメでした。

1か月が経ったころ、ついにかもめは我慢ができずに、空気読めよ、との誹りを受けてもいいとばかりに、1本のメールを釜石市役所のお世話になった方々に送りました。「全員ご無事と信じていますので返信はご無用です、一日も早い復興を願っています」、と。

もちろん、返信はありませんでした。でも、返信がないことを理由に、かもめは皆さんがご無事でいるんだ、と信じることができました。実際はメールを確認できる状況であろうはずもなく、完全な自己満足でしかない、ということはわかっていたのですが。

 

そして6月4日(土)、メールが来たのです。メールを送ってから1月半でした。そこにはやはり、役所が甚大な被害を受け、みんなが本来業務を離れ、メールを確認するどころではなかったご事情説明とお詫びが書かれていました。本来なら、無神経をお詫びしなくてはいけないのはこっちなのに…。

そして、【港湾関係職員はみんな無事】【復興までどのくらいかかるのか予想がつかないが、みんな頑張っています】との言葉とともに、【今はまだ無理ですが、釜石を必ずや、にっぽん丸を迎えられる町に復興させます、その時はぜひ来てください】と書かれていました。そして、【引き続き、応援してください】とも。

とにかく、安心しました。なにより、釜石市役所の「〇〇さん」のお名前を見たことが、かもめの感情に火をつけてしまいました。涙が出てきましたが、会社なので、大あくびしたフリして隠すしかありませんでした。今考えると、「目から汗が出てきた」という作戦の方が、人事考課に響かなかったかもしれませんが。

 

そして、最後はこんな言葉で締めくくられていました(ここだけ引用させていただきます)。  

 

 『いつか、また、釜石港に「にっぽん丸」が寄港することを夢見て、
 港湾の復興に取り組みます。
 今後も、よろしくお願いいたします。』

メール

  

 

 

 

かもめも、にっぽん丸の再度の釜石寄港を夢見て、微力ながら応援し続けていきます。